『浜田さんの石。』
浜田氏は、石の塊に生命を与える。何の変哲もない石が、子供の姿になったり、ピエロになって踊り出したりする。また手水鉢となって鳥たちを誘ったり、石燈籠に変わって闇を照らしたりする。彼の感性と優しさがもたらす石の芸術は、万人の心を和ませる。
『精霊を導きだす人』
「やさしさの石たち」をいただいたのは去年の夏でわたしはたちまち浜田氏の作品に恋をしてしまった。中でも「ふじの道祖神」に心ひかれ、「会いたい」とせつないまでにあこがれたのだ。石のおもてに彫られたふたりは、しっかりと寄り添ってひともとの月見草を握りしめている。永遠に美しく優しい姿でいられる幸福が、ふたりをうっとりとほほえませていた。富士ビジターセンターで実物をまのあたりにしたときの喜びを、わたしは一生忘れない。精霊を見たと思ったのだ。 私にとっての石は、固く冷たく、生命のかけらも感じられないものだった。浜田氏の仕事場に積まれている石も、ただの石くれでしかない。けれども彼の手が触れると、石は魂を取り戻し、真実の姿をあらわにする。浜田氏は、石にひそんでいる精霊を導き出す人なのだった。ぴえろも童児もお地蔵さんも仏像も、なつかしく優しい。「彫っている姿は地面を這っているようで屈辱的」と浜田氏は言う。石は重いから、簡単に動かせない。だから地面に置いたまま彫る。でも這っているどころか、彫っている彼は石と遊ぶ少年のようで、わたしはそれほど愛される石に嫉妬を感じてしまった。鋼の鑿も鎚も石も重いのに、浜田氏の手はしなやかでやわらかい。彼の手が触れたとたんに、石の奥にかくれていた精霊は目覚めて、どんな様子をしているのかを囁くに違いない。「わたしは踊っているぴえろなの」「わたしは額に星をいただいた王女さまよ」と。 この世に生まれた人はみんな、神様から授けられた仕事をしなければならない。が神様は誰にも「平等に仕事を授ける」のではなく、選んだ人にとてつもない大仕事をさせる。浜田氏は神様に選ばれてしまった人なのだ。だから並の人間には及ばない仕事をこなす。精霊を導きだし、作品に会った人のすべてを優しさで包みこんでしまう力は、並の人間に持てるものではない。